スティーブン・コヴィーの『7つの習慣』でもアドラーの思想に近い内容が語られています。
嫌われる勇気
スティーブン・コヴィーの『7つの習慣』や、デール・カーネギーの『人を動かす』や『道は開ける』などの世界的ベストセラーを読んでみることは、アドラーの思想を理解する上で役立つわけですが、それらベストセラーとアドラーの思想には具体的にどのような共通点があるのでしょうか?
今回は『7つの習慣』のなかから、アドラーの思想を理解する上で役立つ考え方を紹介したいと思います。
主体性を発揮せよ
『7つの習慣』は、『成功には原則がある』ということを前提に7つの習慣を学ぶ構成になっているのですが、最初に紹介されている習慣が「主体性を発揮する」です。「主体性を発揮する」とはどういうことでしょうか?
『7つの習慣』では、主体性を発揮するためのモデルとして『主体性のモデル』なるものが紹介されています。
「刺激と反応の間に選択の自由がある」と主張するのが『主体性のモデル』です。例えば他人から罵倒された時に、罵倒し返すこともできるが、冷静に対処することもできると考えるのが『主体性のモデル』的な考え方であり、アドラーの思想でもあります。
その一方で選択の自由なんてものは存在する余地がないと考えるのが『刺激と反応のモデル』です。
『刺激と反応のモデル』はパブロフの犬の実験に起因する考え方です。パブロフの犬の実験とは、「犬にベルを鳴らしてえさを与えると、ベルを鳴らしただけで、犬がだ液を分泌するようになる」という実験ですが、たしかに人間にも条件反射的な反応があります。
例えば「嫌われる勇気」では、ウェイトレスにコーヒーをこぼされて服が汚れたので怒鳴りつけてしまった・・・というストーリーが語られるわけですが、自宅のリビングでテレビを観ながらくつろいでいるときに一匹のゴキブリを発見して、とっさに逃げてしまったという経験があなたにもあるでしょう。
しかし人間である以上、あなたは『刺激と反応のモデル』と『主体性のモデル』のどちらかを選ぶことができるのです。
犬扱いするか?人間扱いするか?
例えば「幸せになる勇気」に登場する青年は、小学校の教師という現場の経験をもとに「悪いことをした子どもには懲罰が必要だ」という考え方が正しいことだと主張します。青年は動物を調教するように子どもを調教せよと主張しているのであって、まさに『刺激と反応のモデル』によるレンズで子どもを認識しているわけです。
一方で哲人は問題行動を起こす子どもは確信犯的に悪事を働いているので、動物を調教するように「悪いことをしたら罰を下す」というような態度では、問題を根本から解決することはできないと語ります。まさに『主体性のモデル』によるレンズで子どもを認識しているわけです。
あなたは人間を『刺激と反応のモデル』と『主体性のモデル』のどちらで理解するでしょうか?
もしあなたが『主体性のモデル』で自分の行動を決めることができなければ、2022年のアカデミー賞の授賞式でクリス・ロックに平手打ちをお見舞いしたウィル・スミスのように、苦しい立場に置かれるかもしれないことは頭の片隅に入れておくべきです。
世の中には最初からあなたを陥れる目的で、あなたを挑発する輩がいないとも限らないのです。
例えば正当防衛と称してあなたをボコボコにすることを目的にあなたを挑発したり、国家権力を呼び出してあなたに社会的な制裁を加えようとする・・・・・なんてこともあり得ます。くれぐれもご注意を!!!