アダムスミスの基本思想 ~ レッセ・フェール(自由放任)

アダムスミス

アダム・スミスは経済学の父といわれますが、アダム・スミスが経済学の父といわれる理由はどのあたりにあるのでしょうか?

本記事ではアダム・スミスの基本的な思想や時代背景について解説します。

倫理学の先生

もともと倫理学の先生だったアダム・スミスが「国富論(諸国民の富)」(An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)を上梓したのは、アメリカが独立を宣言する4か月前の1776年のことでした。

アダム・スミスの思想が生まれたのは産業革命前夜のことでありアダム・スミスが経済学の父である以上、経済学という学問自体、二百数十年の歴史しかないことがわかります。

なぜ?アダム・スミスの思想が世の中にインパクトを与えたのでしょうか?

レッセ・フェール

産業革命が起こる前の中世においては、伝統主義が幅を利かせていました。伝統主義とは、伝統であることに正当性を置く価値観のことです。

ひらたくいえば、農奴の子どもは農奴、靴屋の子どもは靴屋というような価値観であり、たとえ王様であっても伝統に反するルールを民に押し付けることは許されていませんでした。

そんな時に登場したのがアダム・スミスの思想です。

アダム・スミスの思想

市場の自由に任せておけば『最大多数の最大幸福、パレート最適』(the greatest happiness of the greatest number, Pareto optimality)は自ずと達成される。

アダム・スミスの思想のどのあたりが画期的だったのかを説明しましょう。

封建社会と産業革命の「差」

封建時代における経済の流れは、「生産」⇒「分配」⇒「債権・債務」が一般的でした。

つまり農奴が土地を耕し作物を作り(生産)、領主が無理やり年貢を納めさせ(分配)、領主が自分が必要とする以外の余った作物を売ってお金を稼ぎ、そのお金で商品を買ったり、支払いをしたり、お金を貸したりしました。(債権・債務)

しかし土地や労働が商品であるという、さかのぼればトマス・ホッブスやジョン・ロックを起源とする思想が広まると、大転換が起きたのです。生産後に余剰を分配するのではなく、生産前に分配がはじまったのでした。

経済学の前提思想

トマス・ホッブスやジョン・ロックの思想について興味がある方は、以下の記事を参考にしてください。

ジョン・ロック経済学の前提思想

産業革命時代における経済の流れは、「分配」⇒「生産」⇒「債権・債務」になりました。

なぜ?生産するより先に分配が可能になったのかといえば、信用創造が発明されたことにより、銀行が将来性のある起業家に資金を融資しやすくなったからです。

信用創造とは?

信用創造のカラクリについて理解したい方は、以下の記事を参考にしてください。

信用創造 とは信用創造とは? ~ 日本一わかりやすい解説

アダム・スミスが生きていた当時の英国において、企業家は銀行家から借りたお金で地主に地代を支払い(分配)、労働者を雇って生産を行い商品をつくり(生産)、残りを自分の儲けとしていました。(債務・債権)

とはいえ当時の英国においては、中世以来の古い習慣や規制も数多く残っており、不自由極まりないところもありました。

以上のような時代背景において登場したのが、さきほど紹介した「経済の繁栄を求めるならば、市場を解放せよ、規制なんぞ綺麗さっぱり捨て去ってしまえ!自由市場経済を実現すれば、社会は『最大多数の最大幸福』を達成できるのだ」というアダム・スミスの思想だったのです。

フランス人はアダム・スミスの主張を「レッセ・フェール(自由放任)」と呼び、産業革命前夜という時代背景もあって「国富論」は一大ブームを巻き起こしたのでした。

最大多数の最大幸福とは?

アダム・スミスの思想は多大なる影響を与えましたが、「最大多数の最大幸福」とは具体的に何を意味しているのでしょうか?

実はアダム・スミスは、哲学的な主張を繰り返すばかりで、ハッキリしたことは述べていません。もともとアダム・スミスは倫理学の先生だったこともあり、現代人が想像するような「モデルを設計する」、「数学を駆使する」といったような、科学的な手法を経済学に導入するというようなことはしていません。

しかしアダム・スミスの思想は、デビッド・リカードに受け継がれ、その後もトマス・ロバート・マルサス、ジョン・スチュアート・ミル、アルフレッド・マーシャル、アーサー・セシル・ピグーと連なるいわゆる「古典派」(the classical school)を形成して現在に至ります。

古典派経済学の勢いがいったん途切れるのは、アメリカの大恐慌の時でした。アダム・スミスの市場にすべてをゆだねるようなやり方では景気が回復しなかったのです。

そこで登場するのがケインズであり、古典派経済学は廃れるかと思いきや、、、、、、古典派経済学はしぶとく息を吹き返し、今なお健在です。

ミクロ経済学

経済学はアダム・スミスからはじまった学問であり、経済学が対象とするのは「近代資本主義」に限るのですが、より厳密にいえば、資本主義化の価値法則を研究するのが(古典派の)経済学でした。

つまりもっとひらたくいえば、モノの価格が決まる仕組みを研究するのが経済学だったのです。つまり現代でいうところの「ミクロ経済学」こそが経済学であり、その後ケインズがマクロの視点を導入することで「マクロ経済学」が誕生するのでした。

アダム・スミスはモノの価格はどのようにして決まると考えたのでしょうか?

現代人なら(もしかしたら)小学生でも「需要と供給で価格は決まる」と即答するでしょうが、その結論に至るまでは紆余曲折あったのです。

アイディア#1) 欲求

アダム・スミスは当初、モノの価値は「人々がそれをどれぐらい欲しているか」によって決まると考えていました。

多くの人が求めるモノは価値が高く、よって価格も高くなるというわけです。しかし現実に照らし合わせて考えてみると矛盾が起きます。

例えばダイヤモンドは生活必需品ではないのに価格はもの凄く高いです。その一方で、多くの人が毎日必要とする水は安いです。

アイディア#2) 労働価値

モノの価値が必ずしも欲求によって決まらないことを悟ったアダム・スミスは、モノの価値は「それをつくるためにどれだけの労働を必要としたか」によって決まるという学説を打ち立てました。

ダイヤモンドは商品化するためには多大なる労力を必要とするが、水はそうではない。というわけです。

古典派の起点

あなたはモノの価値は「人々がそれをどれぐらい欲しているか」で決まると思いますか?それとも「それをつくるためにどれだけの労働を必要としたか」で決まると思いますか?

もしかしたらあなたはいずれの考え方も「古い」と思うかもしれません。しかしそれぞれのアイディアを受け継いだ経済学者たちの研究はいずれも説得力があります。

いずれにせよ、ケインズ前の経済学はアダム・スミスの思想・学説を起点に議論を繰り広げ、新たな理論を生み出していったのでした。