7.個人心理学と精神分析

「嫌われる勇気」の大ヒットのおかげで、日本におけるアドラー心理学の知名度は高いのですが、アルフレッド・アドラー自身はみずからの心理学を「個人心理学」と名付けています。

「名は体を表す」ということわざがあるように、アドラーが自らの学問を「個人心理学」と名付けた背景を理解することが、アドラー心理学の理解を深めることにつながると思います。

わかりやすく解説したいと思いますので、是非、最後までお付き合いだください!

個人心理学

もともとアドラーは、フロイトが主宰するウィーン精神分析協会の中核メンバーとして活躍した人でした。しかし学説上の対立から袂を分かち、独自の理論に基づく「個人心理学」を提唱します。

嫌われる勇気

なぜ「個人心理学」というネーミングをつけたのでしょうか?「嫌われる勇気」では、個人心理学について以下の説明があります。

たしかにアドラーの名付けた「個人心理学」という名称は、誤解を招きやすいところがあるかもしれません。ここで簡単に説明しておきましょう。

まず、個人心理学のことを英語では「individual psychology」といいます。そしてこの個人(individual)という言葉は、語源的に「分割できない」という意味を持っています。(中略)

要するに、これ以上分けられない最小単位だということです。それでは具体的に、なにが分割できないのか?アドラーは、精神と身体を分けて考えること、理性と感情を分けて考えること、そして意識と無意識を分けて考えることなど、あらゆる二元論的価値観に反対しました。

嫌われる勇気

アドラーは個人(individual)という単語における「分割できない」という意味を強調しているのですが、アドラーが「分割できない」ことを、ことさら強調した背景には、どのような事情があるのでしょうか?

精神分析との別れ

アドラーがウィーン精神分析協会の中核メンバーだった時、アドラーの主張は「精神分析」という文脈で語られていました。

しかしアドラーはフロイトと対立することで、問題が発生します。「精神分析」という単語を使いにくくなってしまったのです。なにせ「精神分析」といえばフロイトだからです。

わたしは「ラーメン二郎」や「家系総本山 吉村家」などのラーメン屋が大好きなのですが・・・・・ラーメン二郎や吉村家を破門されると「ラーメン二郎」や「吉村屋直系」と名乗れなくなるのと同様です。

つまりアドラーにとって、フロイトとの別れは「精神分析」との別れでもあったのです。そのためフロイトから離れたユングは「分析心理学」、アドラーは「個人心理学」と名乗りました。

フロイトとの別れ・・・・・という文脈を理解すると、「個人心理学」というネーミングには、フロイトとの違いを明確にする意図があったと推察できるのですが・・・・・フロイトの「精神分析」とは、どのようなものだったのでしょうか?

フロイトの夢判断

フロイトが、ユングやアドラーと袂(たもと)を分かった頃、フロイト理論(つまり精神分析)の中心には「無意識」がありました。なぜフロイトは「無意識」に興味をもったのでしょうか?

もともとフロイトは神経内科医だったのですが、神経内科の病気のほとんどは不治の病でした。たとえばパーキンソン病や、筋ジストロフィー、ALS(筋萎縮性側索硬化症)といった病気は、現代医学でも治すことができません。

そのような絶望的な状況の中、フロイトは、ジャン・マルタン・シャルコーという当時世界最高といわれた神経学者に出会います。

なんと・・・・・シャルコーは、ヒステリーを催眠術で治療することに成功します。ヒステリーとは、あたかも脳に異常があるかのように手足が動かなくなったり、声が出なくなったり、あるいは変なポーズを取ってしまうという症状のことです。

シャルコーが催眠術を使ってヒステリーを治す様子を目の当たりにして感激したフロイトは、ウィーンで催眠術治療のクリニックを開業するのですが、残念ながら・・・・・フロイトはあまり催眠術が得意ではなく、方向転換を余儀なくされます。

催眠術が得意でなかったフロイトは、どのように発想を転換したのでしょうか?

もともと催眠治療においては、「過去の忌まわしい記憶を患者に思い出させることでヒステリーを治す」と考えられていたため、「過去の忌まわしい記憶」を探るなら催眠術以外にも方法はあるんじゃないか?とフロイトは考えました。

そこでフロイトが思いついた代表的な手法が「夢判断」でした。患者に夢を語らせたり、いろいろなことを連想させていくなかで、無意識の中にあるものが意識に現れてくるはずだ・・・・・とフロイトは考えたのです。

さらにはそのような患者とのやりとりを通じて、無意識の中にあるものを分析して明らかにしていくことでヒステリーを治すことができるのだ・・・・・という結論に、フロイトは至るのです。これが精神分析の誕生につながりました。

アドラーのフロイト擁護

『夢判断』は精神分析の古典であり、世界の臨床心理の基本になったという意味で画期的でした。フロイト自身も晩年に、自分の理論の中で一番好きな理論のひとつとして『夢判断』を挙げています。

しかし残念ながら・・・・・フロイトの著書『夢判断』は、一般にはあまり評判になりませんでした。当時、『夢判断』の売れ行きはいまいちで、1910年~1932年の22年間で1万7,000部しか売れなかったそうです。(ちなみにアドラーの著書「人間知の心理学」はわずか6カ月の間に、10万部も売れた!)

『夢判断』は世間一般に受け入れられなかっただけでなく、医者仲間からも集中砲火を浴びました。しかしアドラーは『夢判断』を擁護し、そのことがきっかけでフロイトとアドラーの交流がはじまります。

アドラーは『夢判断』を擁護しました。しかし冒頭で紹介したとおり、アドラーは「意識と無意識を分けて考えることなど、あらゆる二元論的価値観に反対」しました。なぜでしょうか?

理由はズバリ、「無意識」が現状を肯定する「水戸黄門の印籠」になる可能性があるからだと推察します。以下、わかりやすく説明します。

アドラーが目指したもの

無意識という言葉は、現代でも日常用語で頻繁に使われています。たとえば「無意識のうちにこんなことをしてしまった」というように使われるのを、よく耳にします。

しかしフロイトのいうところの「無意識」は、本人も周囲の人も気づくことはできないし、精神分析医であってもそう簡単にわかるものではないのです。

そう簡単にわかるものではないからこそ「無意識」について研究する意義もあるし、「無意識」というものがあると仮定することではじめて説明ができる現象もあることも確かなのですが・・・・・わたしたちにとって、無意識を理解することは、どれだけの意味があるのでしょうか?

無意識を構成するのは過去の記憶です。ですから無意識を明らかにすることは、過去の記憶と向き合うことを意味しています。

つまり「無意識を理解することに、どれだけの意味があるのでしょうか?」という問いは、言葉を変えれば「過去と向き合うことに、どれだけの意味があるのでしょうか?」という質問に変換できるのです。

たとえばわたしが「人付き合いが苦手」であるとして、その原因が「過去のトラウマ」(無意識)であることが判明したとして、わたしはどうすればよいのでしょうか?

すくなくともアドラーのように、二元論的価値観に反対すれば、「過去のトラウマ」を「水戸黄門の印籠」にして、「人付き合いが苦手」という状況を肯定する可能性をつぶすことができます。

「無意識」(過去の記憶)に逃げることを許さないのが「個人心理学」の特徴であり、劇薬であると評される所以でもあるのです。