長年ホームレスに取材をしているルポライターの村田らむさんは、ホームレスの人たちに「なぜ?ホームレスになったのですか?」という質問をし続けています。
あなたは一番多い答えがなんだかわかりますか?
ズバリ答えは「いつの間にかなっていた」です。
例えば肉体労働者だったけれど怪我をして働けなくなったり、自分や配偶者が病気になったり、財布を落としてお金に困ったり、、、、ということがキッカケで、少しずつ野宿生活へと足を踏み入れていくのです。
つまり「今日から野宿生活をするぞ!!」という感覚はなく、段階的に野宿暮らしの割合が多くなっていった…という人が多いのです。
今回紹介する映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」では、ひょんなことから社会の「穴」に落ちてしまった人たちの生活が描かれています。
わたしは、ダニエル・ブレイク(予告)
社会の穴に落ちる
日本では「自己責任論」が蔓延しています。しかし自己責任に転嫁できない悲劇はいたるところに転がっています。
ある日突然交通事故に遭うこともありますし、病気で自分が働けなくなることもあれば、世帯主が亡くなることもあるし、「無期懲役になって刑務所のなかで一生暮らしたいから」という理由で見ず知らずの他人を襲う犯罪者に遭遇することだってあります。
一寸先は闇であり、慎重に考え抜いた将来設計がある突然ぶっ壊される可能性は誰にでもあるのです。特に災害大国に住んでいる日本人なら社会に「穴」が開いていることを自覚しているはずです。
そして社会の「穴」に落ちてしまった人を守ることこそが、社会を守ることにつながるのだ。と考えるのが社会福祉の発想です。
その一方で「働かない人間に血税を与えるなんてけしからーん!!」という考え方をする人もいます。そういう人たちは「自分が社会の穴に落ちる可能性」について自覚していないのでしょう。
そう。明日は我が身なのです。
とはいえ、社会の穴に落ちた当事者ですら「自己責任論信者」であることは珍しくありません。
そのため「他人に迷惑をかけるぐらいなら・・」ということで、東尋坊(福井)、白浜の三段壁(和歌山県)、富士の樹海で人生の最後を迎えることを選ぶのです。
なぜ?こんな話をしたのかというと・・・・
人生の終わりは突然に
わたしたちは、いつ社会の穴に落ちるかもわからないし、いつ亡くなるかすらわかりません。その事実を自覚している人は、今日も一生懸命生きているでしょう。
有名な経営コンサルタントである大前研一氏は、「あの世に行けば寝たいだけ寝れるから」という理由で、23時から24時に就寝し朝の4時に起きて活動するという生活を若いころからずっと続けているそうです。
あなたはもしかしたら落ちるかもしれない「社会の穴」や、確実に訪れる「人生の終わり」を意識しているでしょうか?
映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」は、そのことを強く自覚させてくれると同時に、社会の穴に落ちた時の対処方法も教えてくれます。
社会のつながり
社会の穴に落ちた時の対処方法はシンプルです。「助けてください。」と言い続けることです。助けてくれない人も多いですが、助けてくれる人もきっといるはずです。
シンガーソングライターのGACKTさんは、若かりし頃、「夢を応援してくれる人を探そう」と思い立ち、「池袋の街中に出て、いろんな人(女性)に声をかけて夢を語った」のだそうです。つまりはスポンサーになってくれる人物を探したのです。
GACKTさんはのべ1万人以上に声をかけたのだそうです。結果50人ほどの女性が、彼に経済的支援をしてくれたそうです。
この話のポイントは、結局のところ助けてくれるのは血の通った「人間」だということです。
映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」では、人を助けるのが仕事であるにも関わらず困っている人を助けようとしない「ロボットのような人間」と、「血の通った人間」の対比が描かれています。
そして「血の通った人間」にダニエルは救われるわけですが、ダニエルが救われた理由もダニエルが「血の通った人間」だったからという点も重要なポイントです。
『血の通った人間』になりましょう。さすれば救われん。