「人を殺してはいけない。」という主張に反対する人はいないと思います。
しかし日本は先進国の中で唯一、積極的に『死刑』を執行していますし、死刑が執行されたことがテレビで大々的にショーのように報じられています。
「死刑制度は凶悪犯罪の抑止力になる。」という説にしても世界では「根拠がない」というのが常識です。
それにもかかわらず、日本で死刑廃止論を主張すれば「被害者家族の前でも同じことが言えるのか?お前も同罪だ!!」と激しいバッシングを受けてしまうのです。
なぜ?日本の常識は世界の非常識という状況が生まれてしまっているのでしょうか?
実はバイプレーヤーとして大人気だった故・大杉漣の遺作は、「死刑」をテーマにした映画であり、「なぜ?死刑に反対する人がいるのか?」というテーマを考える上で非常に役立つので紹介したいと思います。
教誨師(きょうかいし)
教誨師とは「受刑者の心の救済につとめ、彼らが改心できるように導く人」のことです。
大杉漣さん演じる新米の教誨師(以下、佐伯)が、6人の死刑囚との対話により「今まで見えていなかったものに気づかされていく」というストーリーです。
今まで見えなかったもの
佐伯は死刑囚に以下のようなことを厳しく問います。
「あなたに誰かの人生を奪う資格なんてないんですよ!」とか「あなたが奪った人間の人生や、その命の尊さを理解しているんですか?」ということを厳しく問います。
しかし佐伯は死刑囚と対話をすればするほど、自分の主張が壮大な「ブーメラン」になって返ってくることに気づかされてしまうのです。
なぜならば、佐伯が死刑囚と対話をすればするほど「死刑囚のことなんて何もしらない」ということを思い知らされてしまうからです。
その結果佐伯は、死刑囚が被害者の人生を身勝手に終わらせてはいけなかったように、死刑囚を裁く側も身勝手に彼らの人生を終わらせる権利はないのではないか?と悩むわけです。
『事実』と『法的事実』
残念ながら佐伯は牧師という立場でありながら神さまではありません。全知全能の神さまであれば、「死刑囚が本当に何をしたか?」という事実を知ることができるでしょう。
しかし全知全能ではない人間は、唯一無二の事実によって「死刑」を判断しているわけではなく、あくまでも「法的事実」(裁判で認められた事実)を元に死刑を決めているということは理解しておく必要があります。
ひらたくいえば「死刑囚であっても冤罪の可能性がある」ことは否定できないわけです。
「冤罪で死刑」なんて話は、あなたにとっても目を背けたくなるような話だと思いますが、映画の中で佐伯は冤罪が強く疑われる死刑囚と出会ってしまうのです。
そこで佐伯は冤罪が強く疑われる死刑囚に「裁判のやり直しを求めたらどうですか?」と提案します。
また死刑囚との対話に同席していた刑務官にも「ねぇ、あなたも話(冤罪の証拠となりそうな証言)を聞いていたでしょ?」と強く同意を求めます。
しかし刑務官からの回答は「わたしは何も聞いていません。」というそっけないものでした。もしそのような状況に直面したら・・・あなたならどうしますか?