三島由紀夫は1970年11月25日に自刃して果てました。
なぜ11月25日でなければならなかったのでしょうか?11月25日を選んだのは「たまたま」だったのでしょうか?
実は「たまたま」ではない・・・とするのが『三島由紀夫が復活する』の著書であり、在野の天才と呼ばれた小室直樹博士の指摘なのです。
二・二六事件
『三島由紀夫が復活する 』は、二・二六事件の解説からはじまります。
二・二六事件は、1936年2月26日から2月29日にかけて、皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こした日本のクーデター未遂事件。
しかしこの二・二六事件は、たいへん不可解な事件なのです。
まず決行部隊は日本政府を壊滅させ、東京を軍事力で占領しました。しかも天皇陛下の許しもなく軍隊を勝手に動かして、天皇のために天皇が信任する重臣を殺したのです。
決行部隊の行動は、大日本帝国の法に対する真っ向からの挑戦であるどころか、天皇の地位の否定であることは間違いありません。
それにも関わらず、何も知らずにつれ出された兵士は、決起した青年将校に黙ってついてゆくのでした。
繰り返しになりますが、天皇が信任した5人の重臣は、堂々と虐殺され、東京の要衝は決起軍によって占領されました。つまり政府は消えてなくなったのです。
それにもかかわらず・・・・・・一般市民の生活はほとんど支障なく営まれていたし、一般国民で怪我をした者は一人もいませんでした。そもそも決起軍がたとえ反乱軍であるとも、一般国民を襲う可能性があるなどということは、誰も夢にも思わなかったのです。
- 天皇のために天皇が信任する重臣を殺すことに疑問を感じない青年将校
- 自分の国の大臣をいきなり射殺すべく出動することに疑問を感じない一般の下士官・兵たち
- 政府がなくなったのに平然と日常生活を送る日本国民
このような状況は、世界に類をみないものでした。どんなに説明されても、外国人には、こんなことが本当に起こった事件であるとは信じられないでしょう。
一般的に二・二六事件は「クーデーター未遂事件」といわれていますが、事件の詳細を知れば知るほど「クーデーターである」ようでもあり「クーデーターでない」ようでもある事件なのです。
三島由紀夫哲学
日本人が学校教育で学習する形而上学的な「論理」によって、「二・二六事件はクーデータだったのか?」という問いに回答する場合、わたしたちに選択肢は2つしかありません。
1つ目の選択肢は「二・二六事件事件はクーデーターである。」
2つ目の選択肢は「二・二六事件事件はクーデーターでなかった。」
日本語にも「白黒はっきりつける」という言い回しがありますが、形而上学的な「論理」では「白」もしくは「黒」がハッキリしなければいけません。
他にもビジネス書などで紹介されることも多い、MECE(ミーシー)などのフレームワークでは、「漏れなく・ダブりなく」物事を整理することが求められます。
ですから「クーデーターである」ようでもあり「クーデーターでない」ようでもある事件は、どのように理解したらいいか考えれば考えるほどわからなくなってしまうのです。
しかし・・・・三島由紀夫哲学なるものを理解すれば二・二六事件について理解できるというのが小室直樹先生の主張でして、この本では三島由紀夫哲学なるものが徹底的に解説されています。
三島由紀夫が復活する
さて本のタイトルにもなっている「三島由紀夫が復活する」にも、小室直樹先生の明確な意図が隠れています。
実は「三島由紀夫が復活する」ことと、「11月25日」という日付には、関係性があるのです。そして2つの関係性を読み解くヒントは、実は三島由紀夫の最後の長編小説である『豊饒の海』のなかに隠れています。
なんと・・・・三島由紀夫は「豊饒の海」を世に送り出した時から、『11月25日』に行動すると決めていたのです。。。。
三島由紀夫が「豊饒の海」に残したメッセージを読み解いた小室直樹先生の(驚くべき)発見を知りたい方は、今すぐ「三島由紀夫が復活する」を入手してください。
凡人が100年かかっても理解できないであろう三島由紀夫哲学が、わずか1,000円ちょっとで理解できるというのですから、こんな素晴らしい1冊を世に送り出してくれた小室直樹先生にも「感謝」しか言葉がありません。