ムーンライト ~ 新しい文明を始める二人の物語

「感動する映画だったけど、よくわからなかった」という人のために、「ムーンライト」を理解する上で必要不可欠な知識を提供したいと思います。

ミシェル・フーコー

映画「ムーンライト」をスッキリ理解する上で役立つ人物を一人紹介します。フランスの哲学者、ミシェル・フーコーです。

ミシェル・フーコーがどのような研究をしていて、どのような人となりであったのか?という話を理解すれば、「よくわからない」ムーンライトも意外とすんなりと理解できると思うのです。

しかしその前に、フーコーの母国フランスの「特殊な文化」について説明する必要があるでしょう。フランスと日本では文化の側面でいろいろな違いがありますが、「知識人に対する尊敬の念の深さ」という面で明確な違いがあります。

日本の知識人はそれほど尊敬されていないし、知識人の発言よりもお笑い芸人やタレントの庶民的であったり、刺激的な発言のほうに興味があるという人も多いでしょう。

その一方でフランスは、知識人を尊敬するという文化があります。グランゼコールと呼ばれる大学とは異なるエリート育成機関があり、そこで真のエリートを育成しているのです。

実際にフランスの歴代大統領や首相、大企業の経営者の多くはグランゼコールの出身者ですし、グランゼコールの名門校ともなれば格別な扱いを受けられるのです。

ようするにグランゼコールとは、ノーベル賞やフィールズ賞(数学におけるノーベル賞)を目指すレベルの天才ばかりを集めた少数精鋭の超・名門エリート学校なわけですが、ミシェル・フーコーはその超名門校(コレージュ・ド・フランス)の教授にまで登りつめた人物です。

日本では、大学教授といっても大学入試問題の作成や採点を含めた『学生を指導する』などといった研究者にとっては雑務となるような仕事に忙殺されているイメージがあるかもしれませんが、ミシェル・フーコーともなると、そういった仕事はすべて免除されていました。ミシェル・フーコーに期待されていた仕事とはどのようなものだったのでしょうか?

ズバリ、「自分の最新の研究成果を市民に向けて発表すること」です。それだけがフーコーの義務であり、それ以外の時間は、何をテーマにしてどう研究するかも含めて、完全に自由な裁量が与えられていたのです。

人間が支配されているもの

フランスの宝といっても過言ではないミシェル・フーコーが研究していたテーマは、「人間はどのような構造(システム)に支配されているのか?」ということです。

例えばフーコーは、「監獄(刑務所)」というシステムが、わたしたちの思考に大きな影響を与えていることを指摘します。

監獄(刑務所)が社会に誕生する以前の18世紀頃まで人類は、犯罪者を公開処刑にする文化をもっていました。(江戸時代の火あぶり、八つ裂きの刑)

なぜ?犯罪者を公開処刑するのかというと、もちろん見せしめのためです。権力者に逆らうことがどれだけ罪深いものであるのかを民衆に知らしめることが目的でした。

しかし19世紀以降、人類から残酷な公開処刑は消滅し、かわりに監獄(刑務所)というシステムが誕生することになります。もちろん監獄が生まれたのは「人権」という概念が尊重されるようになったからです。

そしてフーコーは監獄というシステムがわたしたちに多大なる影響を与えていることを指摘します。監獄というシステムに誕生によってわたしたちは、「異常」と「正常」の境界線をハッキリ自覚することになったというのです。(いままでそのような境界線はなかったのにも関わらず)

つまり刑務所が誕生する以前は、権力者に逆らった悪人は単純に殺されて排除されるだけだったのに、刑務所が誕生してからは「人間は誰しも正常に生きなくてはならない」というように意識が変化していった・・・・というのがフーコーの指摘です。

ここで直ちに「どうようにして異常な人間を正常に矯正するのか?」ということが大きな問題になります。あなたが監獄(刑務所)のシステムを設計する立場ならどのような方法を採用するでしょうか?

日本ではシンプルに「殴る」ことを推奨する人もいたわけですが、別の方法もないわけではありません。代表的なやり方は「特定の価値観を信じ込ませる」という方法です。

例えば「悪いことをしたら罰が当たる。お天道様(てんとさま)は、ちゃんとあなたのことを見ているよ。」というような、「誰かから監視されている感」(他者の視線)によって、行動を矯正する方法が当てはまります。

日本でもタクシードライバーへの暴行事件をきっかけにして、タクシー会社は車内の様子をチェックするドライブレコーダーを設置するようになっていますし、高速道路での悪質なあおり運転が大騒動になったことをきっかけに、社内だけでなく車の周囲360度をすべて記録するドライブレコーダーにも注目が集まりました。

しかしよくよく考えてみれば、「他者の視線を気にさせて自分を律するように誘導するやり方」は社会のいたるところにある・・・・というよりは、社会全体がそうなっているというのがフーコーの主張です。フーコーは以下のような言葉を残しています。

わたしたちは、ベンサムが設計した刑務所、パノプティコンの中で生きている

ベンサムとは「不平等を是正することこそが正義なのだ」という功利主義という立場を生涯にわたって追及した哲学者であり、パノプティコンとはベンサムが弟のサミュエルに示唆を受け設計した刑務所の構想のことです。

パノプティコン

パノプティコン

パノプティコンには真ん中に高い塔が立っており看守はそこから、そこを中心にぐるっと囲むように配置された牢屋を監視します。

ポイントは、看守からは牢屋は丸見えである一方で、囚人からは看守の姿が見えない工夫が施されているという点になります。つまり囚人は24時間365日、「看守に自分の行動を監視されているかもしれない」という状況から逃れることができないのです。

ベンサムがパノプティコンを提唱した18世紀から200年以上が経過した現代においては、パノプティコンよりも優れたシステムが社会に生まれています。

世界中の人がスマートフォンを所有し、「なにかあればすぐにその状況を撮影しSNSで共有する」ということが日常の光景になってしまっている現代は、まさに一億総監視社会といえるでしょう。

そして厄介なことに、わたしたちはその監視社会から逃れることができないのです。(おそらく一生)ベンサムのパノプティコンであれば建物全体を壊せば監視から逃れることができましたが、現代版パノプティコンは「破壊不可能」なのです。

ここにわたしたち現代人が抱える生きづらさの元凶があるのですが、フーコーもその苦しみから逃れるのに必死だったのです。

フーコーは同性愛者だった

長々とフーコーの研究について紹介してきましたが、実はフーコーは同性愛者でした。ようやく「ムーンライト」と関係のありそうな話をすることができそうです。

さて、フーコーは監獄(刑務所)以外にもさまざまな研究を行っているのですが、それらの研究テーマは一貫して人間を支配する「目に見えない何か」についてです。

フーコーは自らが同性愛者であることを大学生の時に自覚してから何度も自殺未遂を繰り返しています。なぜならばフーコーこそが当時の社会にとって「正常」な人間というよりは「異常」な人間だったからです。

アインシュタインは、「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。」という名言を残していますが、「正常」という社会が押し付けてくる常識や他者からの視線に苦しめられていたのは、ほかならぬフーコー自身だったのです。

そしてフーコーはこんな言葉を残しています。「同性の結婚が認められないうちは文明は存在しない。」と。この言葉こそが、映画「ムーンライト」を理解する鍵になります。

フーコーとシャロン

ミシェル・フーコーとムーンライトの主人公「シャロン」の生き方を重ねれば、ムーンライトという映画が『新しい文明を始める二人の物語』であることに気づくことができるはずですが、もっと詳しく解説してほしい方は、無料の会員制サイト「輝のノート」をチェックしてください。

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