お金を「モノ」だと勘違いした偉人たち ~ 間違った貨幣観

お金 歴史

金融は経済の血液に例えられます。もし金融が経済の血液なのであれば、金融機関が取り扱う「お金」を理解することは、経済を理解する上でとても重要になります。

しかし「お金」の本質を理解している人はほとんどいないのです。お金は「債務と債権の記録」であり、そもそも実態があるものではなく、いわば「情報」・・・なのですが、お金は「モノ」だと無意識に思い込んでしまっている人が(本当に)多いのです。

しかしくれぐれも注意する必要があります。

もしあなたが「お金はモノ」という発想を100%捨てられなければ、「信用創造」といった中学校の教科書で習うような初歩的な概念ですら理解できないでしょうし、政府の金融政策や財政政策などについてはなおさら理解できないでしょう。

つまりもしかしたら・・・・あなたが経済や金融をよく理解できない根本的な理由が、「お金に対する誤った認識」にあるかもしれないのです。

しかし「お金はモノ」という発想を捨てられないのもしょうがないことなのかもしれません。なぜならば歴史的な偉人ですら「お金はモノ」であると信じて疑わなかったからです。

そこで今回は「お金はモノ」であると信じて疑わなかった歴史上の偉人の『お金観』について解説したいと思います。

アリストテレスの貨幣観

古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、著書の「政治学」において貨幣誕生のプロセスについて解説しています。アリストテレスの説明はこうです。

物々交換

貨幣が誕生する前、人々はそれそれ必要なものと不要なものを交換するいわば「物々交換」をしていた。やがて、ポリス(都市国家)とポリスの間で輸出入がなされるようになった。

しかしポリスをまたがった取引において、わざわざモノを運び交換するのは、面倒になった。そこでモノの代用品としてお金が使われるようになった。

価値 ≒ 貴金属の量

当初は鉄や銀といった金属をお金として用い、金属そのものの「量」でお金の価値を決めていた。しかしやがてお金を図るのも面倒になった。

重さ ⇒ 数字

そこでお金をはかる面倒を省くために、円盤の金属の上に数字を刻印し、硬貨として使用するようになった。

以上がアリストテレスの貨幣観です。

アリストテレスの貨幣観は、「物々交換」、「お金はモノの代用品である」という認識に支えられていますが、同様の貨幣観は近代経済学の祖であるアダム・スミスにも見られます。

アダム・スミスの貨幣観

アダム・スミスは著書である『国富論』において、貨幣誕生までのプロセスについて説明しています。

やはり経済学を理解する上において、「貨幣」への理解は必要不可欠であるという認識は、アダム・スミスの時代からあったのです。アダム・スミスの説明はこうです。

分業

人間が生きていく上で必要なモノやサービスは多種多様である。そして生産されるモノやサービスの量を増やすためには、各人が特定の生産に特化することが望ましい。(つまり「分業」)

しかし分業によって新たな問題も発生する。たしかに分業によって社会全体の生産性は高まるが、その一方で各個人が必要とするモノやサービスを自力で賄うことが難しくなってくる。

過剰分の交換は困難

そこで各人は自分が欲しいものを、自らが生産したモノやサービスの「過剰分」と交換する必要性に直面するのだが、物々交換をスムーズに実践するのは難しい。

なぜならば自分の生産による「過剰分」と、自分がほしいものが質・量とともに一致することはほとんどないからである。(例:牛一頭と果物を交換するのは難しい)

分業により社会全体の供給力を高めたところで、それらが社会の中でスムーズに交換されないのであれば、本末転倒である。

交換用商品としてのお金

そこで物々交換をスムーズにするために、取り扱いが容易で、保存がきき、かつ大きさがそれほどでもない塩・貝殻・タバコ・砂糖といった商品が「交換用の商品」として利用された。

やがて、人々は交換目的の商品として、「抵抗の余地のない諸理由によって」金属を使用するようになっていく。何しろ金属は腐敗しないし、長期間保存することになっても目減りしないだけでなく、分割可能でもあるのだから。

価値 = 貴金属の重さ

結果として金属の「重さ」が交換のための主要商品と化したのは、必然の流れであり、貴金属の「延べ棒」は交換目的の商品だったのだ。そして特に重視されたのが「金」と「銀」である。

とはいえ、金銀の延べ棒の重さを秤で量るやり方では、取引がスムーズに進まない。

政府保証貨幣の誕生

そこで一定量の金属に対し、政府などの公的機関が重さや価値を保証するやり方が採用された。

具体的には円盤状の金属に価値を保証する公的な「刻印」が押され、貨幣(硬貨)が誕生したのだ。

以上がアダム・スミスの貨幣観です。

アダム・スミスの貨幣観によれば、お金というものは物々交換を円滑に進めるために誕生した「交換用の商品」の一形態であり、国富論でも以下のように述べています。

貨幣がすべての文明国で普遍的な商売用具となったのはこのようにしてであり」。アダム・スミスの貨幣観によれば、お金はあくまでも「商売用具」なのです。

ジョン・ロックの貨幣観

近代経済学の始祖であるアダム・スミスが「お金は商売用具」と断言しているぐらいですから、中世欧州の貨幣観において「お金≒ モノ」でした。

イングランドの政治学者、ジョン・ロックも「お金 ≒ モノ」という価値観を刷り込まれた一人ですが、ジョン・ロックの場合は「お金 ≒ 貴金属」と思い込んでいました。

ですから国の経済力は、国家が保有する貴金属の量とイコールになるという認識をもっていました。ジョン・ロックの著書「貨幣の価値の引き下げに関する再考察」においても、以下のような記述があります。

貨幣はまた隣邦諸国の貨幣の豊富さにある程度比例を保ってわが国に存在することが 必要である。というのはわが国のいずれかの 隣邦がわが国よりはるかに豊富に貨幣を持っ ているとすると、われわれは彼らからさまざ まな形で危害を受けやすいからである。第1 に、彼らはより強大な軍事力を維持しうる。 第2に彼らはより高い賃金でわが国の人民を誘い出し、彼らに陸上か海上で何らかの労働 を提供することができる。第3に、彼らは市 場を支配し、それによってわが国のトレード を破壊させ、われわれを貧乏にすることがで きる。第4に彼らはいかなる時機にも陸海軍 需品を買占め、それによってわが国を危機に 陥らすことができる。

【出典:ロックの貨幣数量説

物々交換経済?

アリストテレス、アダム・スミス、ジョン・ロックの貨幣観を紹介してきましたが、彼らの貨幣観は正しいのでしょうか?

実は彼らの貨幣観は完全に間違っているのです。なぜならばそもそも(共同体が分離した以降の)社会の中で物々交換経済が成立したことはないからです。

MEMO

ちなみに日本においては、平安時代に朝廷の貨幣政策の失敗により貨幣への信頼が失墜し、物々交換が盛んになった時期がありました。

しかし物々交換の末に貨幣が生まれたのではありません。貨幣の信頼失墜により物々交換せざるを得なかった時期があったと解釈するのが自然です。

ではお金とはなんなのでしょうか?答えは冒頭で申し上げたとおりです。そう。お金は「債務と債権の記録」なのです。(次回に続く)

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