サーミの血 ~ 社会への過剰適応に涙する体験

わたしが就職活動する時の話です。

「よっしゃ!グレーのスーツでも買って目立ってやるか。」と思ったのですが、友人から本気で「マジで辞めたほうがいいよ。」と忠告されました。(いざ就職活動をスタートさせると、友人からのアドバイスに従っておいて「本当によかった」と思いました。)

その後、わたしは運よく外資系コンサルタント会社の戦略部門に入社が決定し、調子にのって茶色の革靴を購入することを検討したのですが、「購入しなくて本当によかったぁ~~」と思うような事件が発生しました。

初日に同じような茶色の靴を履いて出社したわたしの同期が、、、、先輩から「生意気だ!!」と本気で怒られて困惑している姿を目撃してしまったのです。正直理不尽だと思いましたが、先輩に歯向かうようなことはしませんでした。

あなたは一体、何の話がしたいの?と疑問に思っているかもしれませんが、もう少しお付き合いください。

面従腹背

わたしが社会人になり1年が経過し、わたしも社会人としての振る舞いに疑問をもたなくなった時、わたしにも「後輩」ができるわけですが困ったことになりました。

なんと後輩が入社初日に、カッコいい茶色の革靴を履いてきたのです。さて、、、、先例に倣ってやんわり注意すべきか?それとも無視するか???

わたしは悩みましたが、そういう小さなことに悩んでいること自体が馬鹿馬鹿しいと感じ、結果わたしは「1年前のあの出来事」について後輩に話しました。

後輩は「何が言いたいの?」という顔をしていましたが、わたしはそれ以上のことは後輩に伝えませんでした。

わたしの本音はこうです。「社会人にもなって靴の色一つで目の色変えて怒る人がいるなんて、ちょっと異常だよね。」

とはいえわたしの正直な気持ちを大きな声で伝えるということはしませんでした。まさに面従腹背(めんじゅうふくはい:表面だけは服従するように見せかけて、内心では反対すること。)というやつです。

上司の名前

ある日、一生忘れられないであろうショッキングな事件が発生しました。

当時のわたしの上司が、ある日突然仕事をする手を止めて、怖いことをつぶやいたのです。

将来結婚して子供が生まれる時は、上司に忠誠を誓うためにとして●●(上司のさらに上司の名前)を付けようかなぁ~」と真顔で発言したのです。

わたしは内心「マジでヤバイなこの人。」と思いました。その論理でいうとわたしが将来結婚した時、子どもには上司の名前を命名しなくては忠誠心を示すことができないことになると思ったからです。

もし将来子どもに「お父さん、なぜ?わたしの名前は●●なの?」と質問された時、わたしは何と答えればいいのだろうか??と不安になり、そのような未来を想像するだけでもゾクッとしたことは今でも忘れられません。

わたしはこの1件が原因で、自分がその企業で出世することが難しいことに気づいてしまいました。わたしはその1件が発生するまでは意識したことはなかったのですが、やけに「忠誠心」という言葉を多用する社内に多いことに気づいてしまったのです。

わたしは大きな勘違いをしていることに気づきました。わたしは無意識に「みんな面従腹背なんだろ?本気で忠誠心とかアホみたいなこと言ってるわけじゃないんだろ?」と思い込んでいたのですが、どうやらわたしのような考えは社内(の少なくともわたしの所属していた部署)ではむしろ「少数派」だったのです。

少数派が主流派の中で生きていくことは大変です。わたしの上司は「なんだかんだいって、みんな好きな人と一緒に働きたいんだよ。」という本音を隠そうともしませんでした。

わたしに残された選択肢は、「面従腹背を続ける」しかありませんでした。しかし日常的に「踏み絵」の儀式があり大きなストレスを感じていたわたしは、最終的に「クソみたいな会社組織に過剰適応して同化してしまう前に、会社を辞めたほうが自分のためになる」と確信し、そのまま脱サラしてしまったのです。

仕事は忙しかったですが、給料もかなり良かったですし、福利厚生もしっかりしていました。脱サラした当初は「会社に同化できる人間だったら、どんなによかっただろう?」という気持ちもなかったかといえば嘘になります。

あなたはどうでしょうか?あなたは、、、、、会社に同化していますか?面従腹背してますか?組織のなかで抵抗し続けていますか?それともわたしのようにその世界から避難しましたか?

今回はそのようなことを考えたことのない人にこそ観てほしい映画を紹介します。

サミーの血

あらすじ

舞台は1930年代のスウェーデンです。当時スウェーデンで差別されていたラップ人の子どもの視点で作品は描かれています。

作品で浮き彫りになっているのは「社会の内」(一般人)と「社会の外」(被差別民)です。

一般人になることを強く願う『姉』である主人公と、一般人と同化する姉を裏切り者と呼び被差別民であることを誇りにしている『』の姿が、見事な対立軸として描かれています。

果たして、念願の一般人になることを実現させた姉の生涯は幸福なものだったのでしょうか?

姉が妹と対面する、最後のシーンに注目してください!!

過剰適応していないか?

社会に適応しようとすればするほど、その小さな世界のなかでのポジション争い(出世争い)に必死になるのが通例です。もちろん社会に適応してポジションを確保することは「合理的な」選択肢ではあるでしょう。

しかしそのような態度で生き延びることができるのは、その人の所属する小さな社会が「壊れない」ことが大前提であることは忘れてはいけません。令和の時代には、平和の時代に先送りしてきたあらゆる問題が顕在化し、わたしたちの生活をむしばんでいくだろうと思います。

そして社会に過剰に適応していた人ほど問題が起こった時に「なにがなんだかわからない」うちに大きなダメージに苦しめられて右往左往するハメになるだろうと思います。

社会に適応しすぎた人とは、、、、かつてのわたしの上司のような人達のことです。会社組織に忠誠心があり、会社を辞める人間のことを「裏切りもの」と陰口を叩くような人達のことです。

あなたも社会に適応しすぎていませんか?

社会に適応しすぎると、例えば「会社の将来に不安がある。だけど会社のルールを守って副業はしない。」という主張の矛盾にも気づけない人間になってしまいます。

会社のルールや法律を遵守していればあなたは生き延びることができるのでしょうか?そもそもあなたが必死になって手に入れようとしているものは、果たして本当に価値のあるものなのでしょうか?

作品の主人公であるサミーは部族のなかで生きることを拒否し、定住社会に同化することを決断します。しかし・・・・最終的には自分が同化することを選んだ社会のクソっぷりに絶望し、かつて裏切った妹に懺悔するのでした。

懺悔するサミーの姿は、将来のあなたでしょうか?それとも・・・・