散歩する侵略者 ~ 言葉から解放される体験

面白い話をします。わたしたちの「見えている」という体験は『錯覚』であることをご存知ですか?

その証拠に視神経が健全な人がはじめてモノをみても、モノを見ることができないそうです。例えば原始人が現代にタイムスリップして「スマートフォン」を見ても、それがスマートフォンだとは気づかないということです。

ではなぜ?わたしたちは数々のモノを目にすることができているのでしょうか?

その答えはズバリ「脳が概念言語によって対象(モノ)を補正するから」なんだそうです。例えば「スマートフォン」や「冷蔵庫」などのレッテルをベースにして、脳が対象を補正するからこそ、わたしたちはその対象(モノ)を認識することができるのです。

実はこのような世界観は、キリスト教信者は「当たり前」のものとして受けれ入れています。『新約聖書』ヨハネの福音書第一章第一節には以下のような言葉があります。

はじめに言葉ありき、言葉は神と共にありき、言葉は神であった

つまりわたしたちは、世界があるから言葉を操るのではなく、言葉があるから世界を感じることができているのです。実はそのことを徹底的に理解することが、現代を生きやすくするコツでもあります。(その理由は本記事の最後にお伝えします。)

では言葉がなくなったら・・・・わたし達の『世界』はどうなってしまうのでしょうか?

今回は「概念を失ったらどうなるか?」について考えることができる映画を一つご紹介します。

散歩する侵略者

あらすじ

ある日妻が病院に駆けつけると、夫が『別人』のようになっています。

なんと夫は「宇宙人」にカラダを乗っ取られてしまったというのです!!!

宇宙人の目的は地球の侵略。宇宙人は地球を侵略するために、人間から「概念」を奪っていきます。

宇宙人にカラダを乗っ取られた旦那は、妻の妹から『家族』という概念を、そして妻がお世話になっている取引先の社長から『仕事』という概念を奪います。

そして宇宙人が地球を侵略するというクライマックスで、旦那は妻から『愛』という概念を奪うのです。『愛』を奪われる妻はどうなってしまうのでしょうか???

言葉に縛られていないか?

映画「散歩する侵略者」で一番考えてほしいことは、「あなたは言葉に縛られていないか?」ということです。

概念言語を奪われた人類は、『秩序』、『常識』、『満足』というものを失っていきます。なぜならば、そもそも『秩序』、『常識』、『満足』といったものは、言葉で創られた幻想でしかないからです。

例えば「赤信号を渡るな!」ということだって少なくとも自然の摂理などではありません。わたしたちが車も歩行者も見当たらない交差点ですら、赤信号を渡らない理由は、道路交通法で禁止されているからです。

ダイヤモンドに価値を感じるのだって同じ理屈です。「ダイヤモンドは永遠の輝き」というキャッチフレーズ(言葉)が、ダイヤモンドの価値を支えているのです。(そもそもダイヤモンドは永遠に輝く宝石などではありません!!)

勘のいい方であれば、実は「あなた」も言葉に縛られていることに気づくのではないでしょうか?

あなたはどんな人でしょうか?あなたのことを全く知らない他人に説明するつもりで、自己紹介文を書いてみてください。

自己紹介を言葉にするというほんの少しの労力で、あなたがあなたをどんな言葉で縛っているかを明らかにすることができます。

実際に自己紹介文を書いてみれば、『サラリーマン』、『専業主婦』、『●●大学卒』、、、、などなど、あらゆる言葉で自分を縛っていることがわかると思います。

もしあなたが人生に変化を求めるのであれば、あなたを縛っているものがなんであるかを自覚することからはじめることをおススメします。