正義の教室 ~ 幸せを追求する苦しみから解放される体験

正義の教室

わたしは子どものころ、「どうしたら幸せになれるのか?」という答えは、大人になったらいずれ見つかるものだと信じていました。しかし残念ながらわたしの場合、まったくそんなことはありませんでした。

わたしの場合、大学の4年間でも見つからず、就職活動で自己分析してもよくわからず、社会人になって猛烈に働いて、脱サラしてがむしゃらに働いても見つかりませんでした。

しかし「どうしたら幸せになれるのか?」という悩み自体が、実は、「そういう社会」に生きているからこその悩みであり、そのことに気づくことが出来さえすれば「どうしたら幸せになれるのか?」と悩むことから解放されるのです。

『正義の教室 善く生きるための哲学入門』(著者:飲茶)を読めば、あなたもそのことに気づくはずですので、さっそく紹介していきたいと思います。

正義の教室の「概要」

『正義の教室 善く生きるための哲学入門』は、男子高校生の正義(まさよし)君が、平等主義者、自由主義者、直観主義者の女子高生にもまれながらも、「正義」についての考察を深め、自分なりの生き方を模索していくというストーリーです。

正義(まさよし)君は「正義」について「正義なんてものは人それぞれ」と内心では思っています。しかし倫理の授業を受講することにより、人類の歴史上、正義には3つのパターンがあることを知り衝撃を受けるとともに、倫理の授業にのめりこんでいくのでした。

3種の正義
  1. 平等の正義(功利主義)
  2. 自由の正義(自由主義)
  3. 宗教の正義(直観主義)

子どもの頃、ヒーローにあこがれた正義(まさよし)君は、正しく生きるためのガイドラインとして倫理の授業に大きな期待を寄せます。

しかし残念ながらそう簡単に悩みが消えるわけではありません。なぜならば平等を絶対的な正しさとする『功利主義』、自由を絶対的な正しさとする『自由主義』、伝統を絶対的な正しさとする『直観主義』のそれぞれにも問題があり、唯一絶対的な正しさというものは倫理の授業をすべて受講しても見つからなかったからです。

しかも現代哲学は「絶対的な正しさ」を追求するというよりは、「価値観は人それぞれ」という立場が優勢になっており、なおかつ「その価値観は自分では変えるのが難しい」という議論が続いているようなのです。

正義(まさよし)君は、哲学を学習してはじめて「正義なんてものは人それぞれ」という哲学を勉強し始めた時の場所に立ち戻るだけでなく、自分が正しいと信じることのために生きる難しさを突き付けられてしまうのでした。

果たして、正義(まさよし)君が最後に導き出す、自分の生き方とはどのようなものでしょうか?

どうしたら幸せになれるのか?

「どうしたら幸せになれるのか?」という冒頭で話題にしたテーマに戻ります。

「正義の教室」では、西洋哲学の歴史がわかりやすく解説されているのですが、ソクラテスから始まる2,500年の哲学の歴史のなかで、最後に行き着いた主義は『構造主義・ポスト構造主義』であることが明らかになります。

構造主義とポスト構造主義には、共通して「わたしたちはコップの中の水だ」という考え方があります。わたしたちが「善い」と信じている信念・行動もすべては、わたしたちが生まれつき備えている良心などではなく、わたしたちの周りを囲っている「社会」の生成物であるというような考え方のことです。

そして構造主義・ポスト構造主義の文脈に沿って考えるならば、「どうしたら幸せになれるのか?」ということについて悩むのは、「そういう社会のなかで育ったから」という結論になります。

つまり「どうしたら幸せになれるのか?」と考えている人にとっては、「幸せ」は人なら誰しも追求するべきものであると疑いようもないほど信じてると思うのですが、そうとは限らないということです。

具体的には日本人は「あの世の幸せ」よりも「現世の幸せ」をもっとも重要視していますが、世界各国を見わたせば「幸福」よりも「自由」を重要視する人もいれば、「宗教的な価値観」を重視する人もいるのです。

例えばカースト制を守っているイスラム教徒に「カースト制なんて階級社会は捨ててしまいましょうよ」と呼び掛けたところで「余計なお世話」だと一蹴されてしまうでしょう。イスラム教徒にとっては、現世よりも来世のほうが重要なのであり、現世がツラければツライほど来世は救われると本気で信じているのです。

つまり「どうしたら(現世で)幸せになれるのか?」と本気で悩み苦しむのは、あなたがそういう社会(日本)で育った日本人だからなのです。

しかも日本人の思想は一枚岩ではありません。国民全員の幸せを最大にするのが正義だと信じている人もいるし、自由を制限されないことが重要だと信じている人もいるし、宗教的な価値観を追求するのが幸せだという人もいます。

2020年のコロナ騒動でもそのことは明らかになりました。国民のために一律無条件で現金を配布すべきだという人もいたし、「イベントを開催するのも俺の自由だろ!」という人もいたし、「宗教があるので自粛は必要ありません。」と主張する人もいました。

哲学を学べば、テレビ・新聞・インターネット上での主張が、どのような価値観(正義)にもとづいた主張であるのかを判別することができますし、その意見を「誰が」主張しているか?ということにも流されることもないでしょう。

『正義の教室』の終盤で主人公の正義(まさよし)君は、「右か左のどちらを選ぶか?」という問いに対して、「? それなら僕は真っ直ぐの道を選びますけど」と返答します。あなたは正義(まさよし)君のように、自分なりの正義を貫徹できるでしょうか?

他人の価値観に流されずに、自分の価値観を貫徹したいなら、是非とも哲学を学ぶべきですし、その入門編として『正義の教室』は自信をもって推薦できる1冊です。

正義の教室の「要約」

正義の教室は、ソクラテスからはじまる「絶対主義」と「相対主義」の対立および、それらの対立に終止符をうつニーチェの実存主義的な哲学をわかりやすく解説するだけでなく、実存主義以降の哲学である構造主義やポスト構造主義についても中学生でもわかるぐらいスッキリ解説しています。

集中しても読めばおそらく3時間ほどで読むことができると思いますが、その時間もないという方に向けて、正義の教室の「要約」を準備しました。興味がある方は以下の記事をチェックしてください。