戦後日本の貧困エピソード

戦後日本

戦後70年以上が経過し「日本が貧乏であった」という事実を覚えているどころかそもそも経験していない人がほとんどです。

『日本人は本当の貧乏を知らない』といっても過言ではないのです。

その証拠に、戦後の日本人には想像すらできないほど豊かな暮らしをしているにも関わらず、「自分は貧乏だし不幸だ!!」と思い込みながら暗い気持ちで毎日を過ごしている現代日本人もいるのです。

そこで本記事では、戦後の日本人の貧困について見ていきたいと思います。

戦後日本は飢餓地獄

日本が大東亜戦争に敗れた昭和20年に十二歳だった東京大学教授の故・小室直樹先生は、当時の日本の状況を「飢餓地獄」と表現しています。

戦後の日本は、日本人なら誰でも「腹に入るものなら毒でもない限り何でも口に入れた」という状況で、それでも餓死する者はあとを絶たなかったそうです。

ドングリでもコーリャン(モロコシ)でも何でも腹に入ればそれで幸せであり、イモ、大根葉はごちそう、麦のスイトンは貴重品、玄米や白米ともなると宝石の輝きがあったそうです。

しかし外地(海外)から引き揚げてきた人々からすれば、飢餓地獄の日本とはいえ敵に殺される心配がないだけ楽土(苦しみがなく楽しい生活が送れる土地)であり、空腹な子どもは「空腹ぐらいで不平不満を言ったら罰が当たるぞ!」と叱責されたというから驚きです。

日本再建の目標

小室直樹先生が「飢餓地獄」と表現した戦時中の日本の目標は、戦前の日本の生活水準を取り戻すことでした。

しかし戦前の日本の生活水準といっても、現代日本人からすれば大したものではありません。

なにせ戦前の大日本帝国は、朝鮮、台湾、南洋群島を植民地とし、満州国を属国にしていたとはいえど、「持たざる国」だったからです。

その証拠に大日本帝国のGNPはアメリカの二十分の一か三十分の一であり、ヨーロッパ諸国にすら遠く及ばないという状況でした。

そもそも日本人が中国大陸に進出し、大戦争に突入することになった背景には、「日本が健全に大帝国に育っていくためには、いま支配下にある資源ではとても足りない。もっともっと近隣諸国を征服しなければ。」という日本国民の強い希望がありました。

現代日本人には考えられないことですが、日本人は本当に貧乏だったので「どこへ攻めてゆくべきか?」という論争はあれど、どこかへ攻めてゆかなければならないという点に関しては、日本人の間に根本的な意見の相違は見られなかったのです。

「洋食」があこがれ

こんな話があります。戦前の日本において最大の難関であった海軍兵学校を目指す中学生を指導する教師は、大声で叱咤激励して、「お前ら、海軍士官になったら、毎日、洋食が食えるんだぞ!」といったそうです。

「洋食」は毎日食うなんてことは、それだけでエリートのシンボルであり、叱咤激励された海兵受験生一同、目を輝かせて士気は大いに盛り上がったのです。

とはいえ当時あこがれの「洋食」は、英国式の朝食だとジュースにコーヒーあとはパンだけという水準であり、フランス式だとカフェオレにフランスパンといった水準だったそうです。

最後に

戦後直後の日本では、ある検事が「わたしが法律を破るわけにはいかない」といって闇市をやらなかった結果、栄養失調で命を落とした事件があったそうです。

戦後直後の都市部では、配給される食糧だけで生きていける人は一人もおらず、闇市で流通している食料を買わなければ飢えをしのげなかったのです。