あなたは「真の友情とは?」というテーマについて真剣に考えたことがありますか?
わたしは親友だと信じていた人に裏切られた時に憂鬱な気持ちになりました。
自分の頭で考えても解決できそうになかったので、キケロの『友情について』を読みましたが、残念ながら自分を救うことができませんでした。
共和政ローマ末期の政治家、文筆家、哲学者。
わたしの大好きな映画においても、真の英雄とは?真の父親とは?真の友人とは?真の兄弟とは????というようなテーマは頻繁に登場しています。
しかしそれらの映画は全体的に「重い」のが一般的です。感動物語だったり、戦争物語だったり、「こんな憂鬱な気持ちになるストーリーを映画にしなくても・・」というような作品がほとんどです。
「一度その映画を観てしまったら、もう後には戻れない・・・そういう作品こそが娯楽作品を超えたアートであり、本来映画が目指すべき領域なんだよ・・・・」という意見をわたしも支持しますが、気軽に笑いながら映画をみたいときもあるよ。。。。というのが私の本音でもあります。
もしあなたがわたしの意見に同意してくれるなら、コチラの映画をチェックすることをおススメします。
ホット・ファズ
優秀な成績で警察官になり、警察官になってもエリート街道まっしぐらの超エリートが、ある日突然、『左遷』され田舎町に配属されるのだが・・・・
見どころ(ネタバレあり)
マジメな話をマジメに描くよりも、マジメな話を『面白く』描くことのほうが難しいと思います。
驚くべきことに映画『ホットファズ』は、その難しいはずのことに挑戦し、成功してしまった稀有な作品です。
かっこつきの”エリート”としてふるまう主人公、ニコラス・エンジェル巡査部長(役:サイモン・ペッグ)は、「法の奴隷」的な存在です。
エンジェル巡査部長は、法律を守らないやつを取り締まることこそが「正義」であると疑いもしないのですが、ダニー・バターマン警部補(役:ニック・フロスト)との交流によって本当に守るべきものを守ることが『正義』であることに気づくのです。
マジメな話、「法は破るためにある」のです。
もちろんわたしはアナーキー(無秩序な状態)の立場ではありませんし、「法律を破って悪さをしよう!!」なんて滅茶苦茶なことを主張するつもりはありません。あくまでも本当に大事なものを守るためなら時には「法律を破ることもやむなし」という立場です。
とはいえここで議論になるのは、「大切な人とは誰のこと?」という問題です。
リベラルな主張をする人たちは(左翼)は、「権利を守れ!」ということを盛んに主張しますが、リベラルな主張はいつも脆さを抱えています。
なぜならば「誰の権利を守るのか?誰の権利は守らないのか?その線引きはどこに引くのか?」ということが絶えず議論になるからです。
ドナルド・トランプ大統領と大統領選を戦ったヒラリークリントンもリベラルな主張の呪縛から逃れることができず自滅しました。
アメリカの大学生に「中絶について」質問されたヒラリーは、「母親のカラダの外に出る前の胎児には人間としての権利は認められない」という理由で中絶OKという認識を示しましたが、中絶を禁止するキリスト教界隈の強烈な反感を買い、支持(票)を失ったのです。
「人権を守れ!」ということを強く主張するヒラリーに、「じゃあ、どこまでの人権を守るの?」という問いがブーメランのように突き刺さったというわけです。
実は映画「ホット・ファズ」でも、「大切な人とは誰のこと?」問題がテーマの一つになっています。
是非とも、、、、「大切な人とは誰のことか?」という究極の問いが突き付けられた時に、登場人物がどのような決断を下すのか?ということに注目しながら観てください。
そういう視点で映画「ホット・ファズ」を観ると、笑いの中にも奥深いものが隠れていることに気づけると思いますよ!!